2008-08-29

都内では「直葬」が35%という現実!

都内23区に限れば、すでに20%が直葬であり、所によっては35%の地域もあるそうだ。
是非とも非常に興味深い下記の記事を一読いただきたい。
「直葬(ちょくそう)」の流行 〜“お葬式を知らない子どもたち”が急増中〜 日経BP社

2008年8月28日のTV朝日ニュース番組スーパーJチャンネルで、 葬儀価格に大異変!“お坊さん派遣”会社新たな挑戦と題する特集が紹介された。
どちらかの宗門でお坊さんにはなったが、自坊を持たず就職先(寺)がなく、普通のアルバイトをしながらお坊さん派遣会社に登録して読経の仕事を回してもらいながら細々と生計を立てているお坊さんや尼の方々が紹介されていた。

また、その僧侶紹介派遣会社も伝統仏教宗門のお寺を退職したお坊さんが株式会社を立ち上げ社長になり経営しており、葬儀の価格破壊の急先鋒として注目を集めている。
そのお坊さん社長曰く、“事が起こって、慌てて言われるがままにならない”葬儀を提案している。葬式仏教の裏の裏まで知り尽くした方だけにその言葉には重みがある。

最近では、マンション僧なるものも増加しているらしい。
もっとも、結婚式場などで手配する神父さんのよほどの人も、もともと神父などではなく英語講師や六本木で青春?を謳歌している遊学外国人のアルバイトであることが多々ある。これは業界では公然の事実である。
まともな神父や牧師さんであれば、キリスト教徒でもない人間で初見のカップルを宗教儀式で祝福したりするわけがない。とは言っても、ラスベガスのような例もあるにはある。
葬儀や法事にも電話一本で各宗派・無宗派問わず、お坊さんを派遣で呼べるシステムが既に確立して稼動している状況なのである。

また、信じられない痛ましい事件も発生している。
栃木県藤岡町の空き地で一部白骨化した男性の遺体が見つかった事件で、県警藤岡署捜査本部は12日、遺体を東京都江東区南砂の無職斉藤将由さん(77)と特定、死体遺棄容疑で長男の同所、派遣社員斉藤茂容疑者(39)を逮捕した。
茂容疑者は容疑を認め、「7月27日に勤務先から自宅に戻ったら父親が死んでいた。 葬儀費用がなかった」と供述しているという。
ニュースでは、この事件の背景に老人層が終末期に金銭的に疲弊していることや、面倒を見る世代も生活に必死で親の葬儀を従来どうりにする余裕がないと結論づけている。

番組の中でインタビューを受けた町の人も、“お金が無いから死ねない”という中年の女性や、“墓があっても300万ぐらいかかるんだから、お墓のない人はどうするんだろう?”という初老の男性の声を大多数の市民の代弁として紹介していた。

さらに特集は続き、「直葬」なるものを紹介していた。
「直葬」というのは、「お葬式をしないで、火葬だけする葬法」で自宅や病院で亡くなった遺体をそこから直接火葬場に移送し火葬するのである。もちろん、火葬場に僧侶を呼ぶ事などもできる。そこに既載の僧侶派遣会社などの安価な明瞭会計ビジネスが成立するとのことである。

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2008-08-22

お葬式、苦情最多に!

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お葬式、苦情最多に 料金・サービス、業者任せ注意!!!

葬儀の契約やサービスについて、全国の消費生活センターに寄せられた苦情や相談が07年度、過去最高の384件に達した。国民生活センターによると、02年度までは年180件前後だったが、5年で倍増。今年度も07年度を上回る勢いで増えている。

契約・解約に関する苦情が全体の70%を占める。「契約と違う異常に高額な祭壇が使われていた」「費用の明細を業者が説明しなかった。サービスに不満があり一部返金してほしい」などだ。

このほか「基本料金プラスアルファで100万円程度の見積もりだったが、実際と違った」「葬祭業者に言われて払ったお経代と戒名料が、後から菩提寺(ぼだいじ)に聞いた額の2倍以上だった」など価格や料金に関する苦情が45%。「ひつぎを運ぶ際、部屋の壁を傷つけたが、弁償を断られた」など業者の接客・対応に関する相談も23%あった。

国民生活センターは、苦情や相談の増加について、消費者の意識の高まりに加え、営業に許認可や届け出の義務がなく業界に新規参入しやすいことが影響しているとみている。今年6月、業者選びや契約・見積もりの時のチェック項目をまとめた消費者向けリーフレットを発行し、全国の消費生活センターなどに配った。「突然訪れる身内の不幸に動転し、業者の言いなりになりがち。複数の業者に見積もりを依頼し、見積もり以外に費用がかかる時は必ず事前に知らせるよう求めることも必要だ」と呼びかける。

センターは、業者の3〜4割に当たるとみられる約1400社が加盟する全日本葬祭業協同組合連合会(全葬連)にも改善を要望。全葬連は昨年、消費者への説明責任や情報開示の義務、見積書や料金の明示などを盛り込んだ指針をまとめた。消費者向けの手引も作り始めており、「喪主は弔問客の対応に追われ、飲食の追加を誰がしたのか、詳細が後からわからなくなることがある。あらかじめ親族などの中から責任者を決め、業者との折衝窓口を一本化するといい」と助言する。

日本消費者協会の消費生活コンサルタント佐伯美智子さんは「葬祭のあり方や業者も多様化しつつある。避けられず、決して安い『買い物』ではないのに、これまで業者任せの人が多かった。トラブルを避けるには、どのような葬式にするか、いくらぐらいかかるのかなどを調べ、普段から準備しておくことも大切だ」と話している。
(出典 Asahi.com)

これだけ情報が溢れ、消費者が賢くなった昨今であるが、葬儀や供養といった分野だけは最後の聖域であるのかもしれない。とはいえ、よく分らない、納得がいかないものにはお金を払わない、という姿勢がこの分野にも必要なのであろう。
お坊さんやその取り巻きの葬式ビジネスに関わる人々に対して性善説で接していると痛い目にあうという事例が増えている事は由々しき問題である。

かつて中古車業界が、信用のならない胡散臭い業界であった時期が長く続いた。
今では、簡単明瞭化のシステムをもって一部上場し、売買ともに確立された透明性のある業者が社会的に認知されることで、ディーラーさえも中古車市場に進出している。

一般の人々の葬儀に対する考え方が多様化する中で、もっとも矛盾をはらんでいることの一つが、仏教徒でないのに檀家であるという事実であろう。あるいは親はある宗門の檀家であるが、息子夫婦は自分が特定の宗教は信仰していないし、むしろ宗教を忌み嫌ってかかわりたくないと考えている。
しかし、自分を育ててくれた親には恩義を感じているし、先祖供養は大切だと考えている。

そこで、宗教によらない葬儀と供養という方向で模索される流れがさらに強まっていく。
ブッダのもともとの教えを伝える原始仏教経典に強く惹かれるわたしにとって、この日本の現状は当然の帰結であるように思えるし、葬式仏教の現実は淋しいかぎりである。・・・中泰

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2008-08-01

お盆を前に考える日本人の宗教観

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日本人の宗教観を客観的に示す代表的二つの数字から紐解いてみたい。

まず一つ目に、文化庁のホームページによれば平成18年12月31日現在で、日本には都道府県知事若しくは文部科学大臣の認証を経て法人格を取得したものだけでも18万団体以上存在する。

その上、信者数をカウントする手法として各教団に信者数を尋ねたならば、概算で2億2千万人弱となる。上位2系統だけで、神道系が一億人、仏教系が一億人で合計は約2億人となる。
ここまでの数字は、届出を出して宗教法人を取得している団体とその団体の自己申告信者数の積算である。未届団体も相当数あると考えられるので、教団数も信者数もさらに上乗せされるものと思われる。

伝統仏教教団だけを考察してみても、全国の仏教寺院数は約7万7千ヶ寺、僧侶の数は約30万人で信者数は約6000万人存在する。すでに飽和状態と言われるコンビニエンスストアでさえ全国に4万店舗前後である。
日本の人口は、二十歳未満の未成年や未就学児童や幼児までいれても1億3000万人程度である。

日本の人口よりも多い2億を超える信者数をどう考えればよいのであろうか?

いうまでもなく、日本人の多神信仰の顕れであろう。安産・合格祈願・初詣と参りながら、ハロウィン・クリスマス・バレンタインイベントに大挙して参加する国民性である。もちろん、盆踊りもするし節句や豆まきも大事なイベントである。
いにしえの古来より、沢山の神様仏様が存在するこの国土に育った民俗性豊かな日本人の多様性を甘受する懐の深さといったところか。

前出の二大宗教団体も、氏子や檀家だけでなく、その家族や年中行事の参加者までもカウントしているであろう。そこで2重3重のカウントが起こる。
新宗教や新新宗教なども掛け持ちをして入信している人々もいるであろうし、辞めていても正式な脱会手続きをしていなければカウントされるし、脱会を認めない教団も存在する。そうなれば、宗教団体の信者数はひたすらに拡大を続けていく事となる。

二つ目に、読売新聞社が直近に実施した年間連続調査「日本人」で、何かの宗教を信じている人は26%にとどまり、信じていない人が72%に上ることがわかった。
つまり、2〜3割の日本人しか特定の宗教を信じていると回答していないのである。一般の人々と宗教法人との間でこれだけのずれが生じているのであるから驚きである。

宗教法人側の申告によれば、なんと人口比の信者数は約160%である。伝統仏教系だけとってみても信者数は約6000万人というのだから、最低でも46%程度は、特定の宗教を信じていると回答してもよさそうなものである。

どちらかの伝統仏教宗派の檀家でありながら、仏教を信仰していません、信者・門徒・信徒ではありませんという結果が導き出される。日本のオリジナリティーあふれる日本大乗宗祖教は、いまや一般の人々の間で儀式的葬式仏教と捉えられ始めているということを如実に表しているのである。

その一方で、宗派などを特定しない幅広い意識としての宗教心について聞いたところ、「日本人は宗教心が薄い」と思う人が45%で薄いとは思わない人が49%と見方が大きく割れた。
さらに、先祖を敬う気持ちを持っている人は94%に達し、「自然の中に人間の力を超えた何かを感じることがある」という人も、56%と多数を占めた。
多くの日本人は、特定の宗派からは距離を置くものの、先祖崇拝や人知を超えた超自然的力などの何ものかに対する敬虔さを大切に考える傾向が強いのである。

また、これだけ宗教心が薄れつつある日本人にあって、先祖を大切に想う気持ちには根強いものがあるわけであるから、葬儀やお墓に関する考え方も多様化し始めている。

家族葬や友人葬も一般化しつつあり、宗教色を排除した葬儀も都心部では珍しくなくなった。
お経の代わりにヒーリングのCDなどを流し、焼香の代わりに献花をすることで代用する。お墓は、宗教を問わない霊園を買い求める。
仏教にこだわらない葬儀の形は既に確立されている。実家を継ぐ者がおらずお墓を都心近郊に移したり、戒名や法要の問題もこの流れに拍車をかけている。

その一方で、ブッダのもともとの教えを説くテーラワーダ系仏教(南伝・上座部仏教)は、日本で確実に浸透しつつ信者数を増やし始めている。

この流れは、大きなうねりとなりつつある。

かといって、既存の日本のオリジナリティーあふれる日本大乗宗祖教が否定されるわけではない。
選択肢が増え、刺激的に切磋琢磨する環境があることは、宗教者側にも信仰者にとってもプラスに働くものと期待する。

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2008-07-31

第10回オモロイ・坊主サロン in 荒木町・坊主バー

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「第10回オモロイ・坊主サロン in 荒木町・坊主バー」のご案内 


月イチで、実施させていただいてます藤川和尚を囲んでの 「オモロイ・坊主サロン in @坊主バー」!

毎回大盛況です。おやめにエントリー下さいませ。二次会もお楽しみに。7月はお休みさせて頂きます。次回は、8月2日(土)です!

【日時】  8月2日(土)15:00〜17:00
【会費】  2,000円(ワンドリンク付き)
       ソフトドリンク、アルコール飲料可能。
       追加は、各自実費でオーダーを!
       素敵なネーミングのオリジナルカクテルも オススメです


【場所】  新宿荒木町の坊主バー
      東京都新宿区荒木町6-42 AGビル2階
      電話03-3353-1032
      http://portal.nifty.com/koneta04/11/13/02/

【交通】  最寄り駅は丸の内線四谷三丁目
      都営新宿線曙橋から徒歩5分程度。
      地図 http://r.tabelog.com/tokyo/rstdtlmobile/13023089/ 


坊主バーとは、僧侶が経営している不思議なバー。
藤川和尚と共に、飲みながら お釈迦さんの教えに触れてもらおうという気軽な会です。
(もちろん、藤川和尚は戒律に従い、お酒は飲みません!!)

お香が漂う坊主バーの店内。
仏壇あり、説教あり、お経ありと盛りだくさんです。 気軽に遊びに来てください。
なお、お越しいただく際は事前にご連絡、エントリーを していただけると助かります。

【お申し込&問い合わせ】
オモロイ坊主を囲む会事務局までお願いします。
info@omoroibouzu.com
世話人:酒と友に去りぬ(かとう)&イケメンマスター・藤岡

以上  「オモロイ坊主を囲む会」通信第134号より転載

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2008-06-26

日本の仏教難民 ??? 4

あるお坊さんを囲む宗派を超えた集まりに参加してみた。

そこには、多様な日本大乗のお坊さん方も参加されており、とてもフランクな雰囲気のなかで一般参加者からタブーなき?質問や相談がされています。
この会には、宗旨宗派も関係なく、さらにはお坊さんも上座部(南伝)も大乗(北伝)も入り混じり、中には本職の神道の宮司さんもいらっしゃり、私にとってこの光景は、新鮮でもあり非常に衝撃的でもありました。
私のような考えの方がこんなにも沢山いらっしゃるんだと心強くも感じました。

非常にユニークなそのお坊さんは、私のワダカマリを少しづつほぐしてくれた。
私の発心の経緯から、パーリ語やサンスクリット語原典から日本語に直に訳されたブッタの教えそのものに惹かれていること、そして日本の葬式とお墓を取り巻く“葬式仏教”ビジネスに関する疑問を率直にぶつけてみた。

そのお坊さんは、「貴方は、ごく普通の感覚の持ち主だと思いますよ、ただ半分正しくて半分疑問が残りますな」と穏やかに答えると、分りやすい言葉を選んで話しをしてくれた。

以下、お坊様のお話しの要約です。

あなたが、発心するきっかけとなったのが、パーリ語やサンスクリット語原典から日本語に直に訳されたブッタの教えであったことは、非常に幸運なことです、幸せなことですよ。
貴方が明治以前の日本人であれば知る由もなかったことが、生死をかけた冒険のうえでしかたどりつけなかった教えに、数々の書籍やインターネットによって直に触れる事ができるのですから。

私はね、矛盾しているように思われるかもしれませんが、頭とマユを剃りこんな格好(衣)をしていますが、宗教が大嫌いなんです。
2525年前に実在した人間ブッダとその教えに帰依しています。

宗教と捉えずに、2525年前に印度に実在したブッタの教えは、現世で心穏やかに地球上のすべての生きとし生けるものが幸せであるための“実践哲学”であると考えています。ですから、勉強も必要ですが、それだけではなく身をもってブッタの言っている事はこうゆうことだったのかと、できることから実践していくことが大切なことなのです。

難しい教学は立派な先生方の研究書をお読みになればそれで事足りるのではないでしょうか?
私のような凡夫の大多数の人間は、ブッタの教えに触れて20年やそこら修行したところで悟れるわけでもありません。227の戒律を守り、ブッタの教えにご縁をいただいた私のような人間ができることは、もともとのブッタの教えを知って欲しい。ただ、それだけなのです。このような集まりもその一環と考えています。

それでも、人生の節目で決断を迫られる時、ブッダならどのような考えの下にどのように行動するであろうか?それが私の行動規範となっています。

日本で坊主や仏教徒であること=すなわちブッタの説かれた道を正しく進んでいる者であること、では無いと言えるのは事実だと思います。しかし、だからといってオリジナリティーあふれる日本の大乗が間違っているとかテーラワーダ(上座部)が正統だとかということにはならないと思います。

とにかくね、“仏教オタク”はいらないんですよ!
入り口は何処でもいいんだと思います。貴方が信じる信仰のままでいいから、紆余曲折を経て伝播し、進化発展していく前の、この世に実在した人間ブッタの説かれた実践哲学を知って欲しいんです。

貴方は、日本のお寺とお坊さんの現状から、日本の大乗に懐疑的になっておられるようだが、坊主とて食っていかなければならない。
スリランカやタイやミャンマーなどのテーラワーダの国々では坊主は比丘(乞食)なんです。托鉢によって、つまり坊主側が一般の方々から慈悲を施されて命をつないでいます。それは、喜捨をして得を積むという考え方が国土の隅々まで浸透して脈々と受け継がれているから成り立つことです。
日本の大乗では、寺や坊主が一般の方々や故人とそのご遺族にご利益を与えて布施を頂き生活をしています。その際たるものが檀家制度ではないでしょうか。

そう考えるならば、お寺の集金システムと大乗の教えとは切り離されて考えてみたらいかがでしょうか?そうしないとポイントがずれてしまいます。
日本の大乗が、確かに人間ブッダが生きている間に説いた教えとは、かけ離れている部分もあるでしょう。しかし、この日本という国土の上で1500年以上かけて熟成されてきた大乗の教えの中に素晴らしいものも沢山あるのです。戒律に関してもこの立場に立ってみたらいかがですか?


私はこのお話しを聞いてから、仏教が益々好きになりました。
この先、仏教徒として歩んで行く上で私の大きな指針を頂いたように思います。

おわり

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2008-06-12

日本の仏教難民 ??? 3

日本の仏教難民 ??? 1・2を読んでビックリするほどのレスポンスの速さで、多数のコメントやメールを頂いた。が、しかしそのすべての方のコメントが管理者だけが読む事を希望されており、コメントでなくメールという形で頂いた方々も同じ心情なのであろう。

自分の意見であるコメントを公表して人の意見を聞けるいいチャンスだと思うのですが・・・。
お坊さんや関係者からのご意見も是非ともお寄せいただきたい。

それだけ、微妙な問題に足を突っ込んでしまった、ということであろうか?
今や仏教学者から一般の人々まで公然の事実ですよね。もちろん分っていても立場上言えない方もおられるでしょう。

さて、本題に入ります。
実家に住んでいるが新宅の核家族で神棚も仏壇もない、そんな宗教とは縁遠い人間が、あるいは宗教が大嫌いな人間が、ある日ふとしたことから発心したとします。言い換えればブッダの教えに触れて心の扉が開いたとしましょう。

貴方ならどうしますか?

いきなり仕事を辞めて仏教大学に行くわけにもいかず、ましてやすべてを捨てて出家するわけにもいかない。と考えると近所のお寺にでもいって和尚に聴いてみるか、となるのだが、世間での一般的なお寺の坊主の印象は、宗教法人をいいことに“坊主まる儲け”でやりたい放題というイメージがつきまとう。

ここまで書いたのは、お察しのとうりで私がガラにもなく発心した頃の話しである。この頃の私はブッダとは誰で、どんな事をいっているのか?ということが無性に知りたくて知りたくて渇望していた。そして、お坊さんとお寺と葬式と取り巻き業者を包括する日本の仏教の巧妙な集金システムに憤りと偏見をもっていた。

というのも、立て続けにこんな思いをしたからである。
時間があるときには夕方にウォーキングをしていた。丁度その中間地点にお寺があり、清々しい気持ちで境内を通って折り返して自宅に戻るのが丁度いいコースであった。一週間に一度ぐらいは賽銭をいれて手を合わせることもあった。何度もお寺の奥様と思われる方と境内でお会いし、笑顔で会釈をしてくれるようになった。そんなある日、その方から「檀家様ですか?」と声をかけられたので、違うのだが仏教に興味があるので勉強させてもらえませんかとの私の声をさえぎり、「檀家様以外の境内への立ち入りはご遠慮していただいております」と手のひらを返したようにぶっきらぼうに言われた。

また、こんな事もあった。
ネットで調べてみると、自宅から車でわりと近いお寺で毎月法話会があるという。
電話で問い合わせてみると、檀家でなくてもどなた様もお越し下さい、と言われたので仕事を早めに切り上げて参加してみた。だいぶ早く着いてしまい、和尚が対応してくれたので思い切って自分の気持ちを話してみた。
「最近、仏教に興味をもって印度で発祥した仏教とかブッダそのものとか、もともとのブッダの教えとか、そおいうところから勉強を始めてみたい」と正直に話してみた。

すると、面倒くさそうな顔つきになり驚くべき答えが返ってきた。
和尚曰く、「うちではそおいう話はしませんよ、うちは○○宗ですから開祖○○の説いた教義に関する勉強会になりますな、だいたいそんなややこしい事を知っても何の役にも立ちません、ただ○○を唱えればいいんです、簡単でしょ、誰でも極楽浄土にいけますよ、お墓は後からでいいので檀家になられたらどうですか?」と切り捨てられた。
その後の法話会も聞いていたが、如何に戒名が大事であるかとか、ご先祖様の祭り方とか、現在宗門の大学に通っている息子の自慢話とかに終始していて、白々しくて聞いていられないので途中で帰ってきたのであった。

つまり、法話会とは名ばかりで、ブッダの教えはどこにも欠片もなく、お寺の集金システムの“すり込み”に終始しているのである。

では、私のような人間はどうしたらよいのであろうか?
ご縁が無いと諦めるか、ジッとご縁が廻ってくるのを待てばいいのであろうか?

しかるに、私のような人間が行き着く先は、新興の宗教ということになりやすい。
しかし、私はそうはならない。なぜなら矛盾しているようであるが、私は宗教が嫌いなのである。

そんな人間がたどり着く先が、“書斎仏教”である。

しかし、これはこれで問題がある。
ブッダの教えを知り吸収していくのは楽しいのだが、まるで仏教学のような視点で仏教を見るようになってしまい、いっこうに信仰にならないのである。
数々の宗教の中からやっと仏教と決めたのに、宗旨宗派を選ぶのが至難の業である。

あるお寺の息子(彼は普通の公務員)にそっと相談してみると、うちの宗派は何かと金がかかるから、○○宗は割と良心的らしいよ、などと訳の分らぬ判断基準をもとに○○宗を推薦してくれた。坊主の身内からしてこうなのだから、いよいよ悩ましい現状である。

ところが数ヶ月して、そんな私の陳腐な考えを打ち砕き、道を示してくれるお坊さんが現れることとなった。まさに不思議なご縁としか言いようがない。

つづく

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2008-06-11

日本の仏教難民 ??? 2

最近は、「友人葬・家族葬」なる僧侶を呼ばずに、遺族・親族・友人など、故人と親しい人のみによって執り行う葬儀・告別式が都心部を中心に一般化し始めている。
檀家でお墓がある人も、郷里に跡取りがいないので都心郊外の“霊園”にお墓を移すことが盛んに行われている。

ある宗派で、実家のある郷里に跡継ぎや墓守がいなくなるとどうしても足が遠のく、というのでお坊さんにいわゆる“魂抜き”をしてもらい(もちろん有料)、都心の自分の住んでいる便のいい場所の同じ宗派のお寺の檀家になり、そこにお墓を移すということになった。しかしその宗派では、伝統的に農村部で信者が多かった為、都心やその郊外には寺も墓地も絶対数が足りない。そこで本部号令の元、都心郊外に墓地を建設している。

新たな墓地建設のいい土地がみつかっても、都心から高速を使っても2時間以上かかる所の場合には、客寄せパンダ、おっと失礼、信者を寄せる為の巨大モニュメントを建造したりしている。
かくゆう私も吸い寄せられるように馬鹿馬鹿しいと思いながらも先日拝観してきた。
これは、以外にも好評のようで、他の仏教国からもそのモニュメントを観るために観光バスで日参しているほどである。

その仏像型モニュメントにはエレベーターがついており、最上階まで上れば仏像の目のところから景色が一望できるようになっている。
その巨大さには度肝を抜かれたが、日本人や韓国人、中国人は次々と上っていくのにテーラワーダ(上座部)仏教の国から来た人々は、外から拝むだけで仏像の中に入って上ろうとはしない。その意味を日本人の僧侶や信徒は分っているのだろうか?と気恥ずかしい気分がした。


通夜や葬式はやる。しかし、お坊さんは呼ばずにヒーリングの音楽などでお経はない。したがって線香やお焼香というものもなく、一輪の花を参列者が献花台にそなえる。

あるいは、お焼香もお経もあるが、お経はCDなどということもある。
極めつけは、故人の遺言であるからと通夜や葬式は行わず、慢性的な火葬場不足の為、遺体をドライアイスなどで保存して数日待って焼き場に持っていって火葬にするだけ。
墓はもちろん位牌も仏壇も棺おけも骨壷もいらない、ただ焼いて、郷里の川にそっと流してくれというシンプルなものまで登場している。

いわゆる新宅で核家族の家庭には、神棚も仏壇も無い。
したがって宗教心も信仰心もない、というわけでなく、特定の宗旨宗派の檀家ではない。つまり、どれがいいかと言われれば仏教になるのだろうが、知り合いに坊さんもいないし、何だか金がたいそうかかかると檀家である友人から恨み節ともとれる愚痴をきいていると、檀家になり墓なぞ残したら子どもに迷惑をかけることになると考えてしまう。

また、笑い話のような切実な話しもチラホラ聞く。
自分の親の葬式は兄弟5人で出したから負担も1/5で済んだが、一人っ子の一人娘の我が家なんかは、婿に面倒見てもらうことになる。まだ婿ならいいが、娘が嫁にいったら他人に経済的負担を強いる事になる。かといって、実家の墓に長男で跡をとっている兄貴と一緒に入れてもらうわけにもいかない。

そこで、日本人は気付いてしまったのですね、そう“霊園”です。
友人葬・家族葬+宗教宗派を問わない霊園=安価で自由な葬儀と自由な墓石
これで、坊さんへのキックバック(コミッション)も葬儀の費用や墓石に上乗せされなくて済むじゃないかと・・・。

事情は、それぞれであろうが、先日の読売新聞の記事を下記に引用したい。

読売新聞社が17、18日に実施した年間連続調査「日本人」で、何かの宗教を信じている人は26%にとどまり、信じていない人が72%に上ることがわかった。

ただ、宗派などを特定しない幅広い意識としての宗教心について聞いたところ、「日本人は宗教心が薄い」と思う人が45%、薄いとは思わない人が49%と見方が大きく割れた。また、先祖を敬う気持ちを持っている人は94%に達し、「自然の中に人間の力を超えた何かを感じることがある」という人も56%と多数を占めた。

多くの日本人は、特定の宗派からは距離を置くものの、人知を超えた何ものかに対する敬虔(けいけん)さを大切に考える傾向が強いようだ。


私はこの記事にある種のショックと警戒感、そして落胆を覚えた。

■全国の仏教寺院数 約7万7千か寺
■僧侶の数       約30万人
■信者数        約6000万人  

ということになっている。これは、宗教法人を取得している団体だけで、仏教系施設や信者はさらに2割増し程度になると思われる。
すでに飽和状態と言われるコンビニエンスストアでさえ4万店舗前後である。

約7万7千か寺のハコモノと約30万人の僧侶と約6000万人の信者をようしている日本の大乗仏教界が1500年以上の時を経て、先祖崇拝と自然崇拝と神秘主義の無宗教国民を創り出してしまっているのである。

これでは、日本の国民が新宗教や新新宗教などの新興の宗教やカルトに流れてしまうのも致し方ないのではなかろうか!

政教分離の原則は支持する私であるが、法律や政治で子ども達に道徳心や倫理観を養わせることはできないのも、現在日本の世相をみれば明白な事実であろう。

なにかと親が悪いのだといわれる昨今であるが、“子は親の鏡”というならば、

“世相は日本仏教界の鏡”なのではないであろうか?

つづく

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2008-06-11

日本の仏教難民 ??? 1

「葬式仏教」などと揶揄されて久しい日本の仏教、それは本当に仏教なのであろうか?

それが仏教だとしても、ブッダの教えであるとは言いがたい状況である。それでも、各宗旨宗派の超進化をとげ飛躍した教えじたいで救われる人はそれはそれでいいのだと考える。
どの宗教も、お国柄や気候・風土、地理的条件や土着の民間信仰などの影響をうけながらその土地に根付いていく。

キリスト教の側からみれば、米国(連合軍)が占領しあの手この手で試みて、憲法や法改正までしたのにイエスの教えが根付かない脅威の国、日本と言われているらしい。
最近ではこの反省に立ち、キリスト協会でも一回忌や五回忌の法要にあたるものを取り入れている所もある。

いつの頃からかはさだかではないが、日本人の先祖崇拝の素地はいたって強固である。
先祖が、父や祖父、祖祖父としてそのままあり、自分達一族を見守っていてくれる。だから葬儀や墓参り、法要をおろそかにはできないし、良い事でも悪い事でも重要なことがあったときには墓参りをして墓前に手を合わせるという行為に繋がる。

先祖が非常に大きく有益な土地や既得ビジネスモデルを遺産として残してくれたおかげで、我が一族は申し訳ないぐらい金には困らず、悠々自適の人生を送っている。
御先祖様の誰が欠けても、私という存在はこの世に存在できない。自分や家族、一族が幸せであるのは御先祖様のおかげです、というのなら非常に分りやすい。
これってまさしく、お寺に生まれて世襲制のために和尚になり、妻帯して子どもをもうけ、また世襲していく日本のお寺の住職の観念そのもの、つまり住職とその家族が何不自由なく食っていくための方便ではないのか?と言ったら言い過ぎであろうか。

つまり、お寺も葬儀ビジネスや墓地ビジネスに関わる方も、檀家も輪廻を否定していることになる。
輪廻を否定すれば、因縁や業も怪しくなってくる。

それにしても、これだけ書籍やインターネットなどで、パーリ語やサンスクリット語から直接日本語に訳された文献に各個人があたれる時代に、日本の仏教、特にお寺が今後も存続していけるのであろうか?

もちろん、僧籍にある者も飯は食っていかなければならないのだし、貴重な国や地域の財産である建造物や仏教美術品を維持・再建して後世に伝えるという役割もあるのだろう。
ましてや、妻帯し家族をもつほとんどの日本の僧籍にある方々は、葬儀ビジネスや不動産業、そして管理会社業などを営み家族を養いながら、その各業界の人々をも食わしていかなければいけないのだから激務で多忙を極め、いつ修行する時間がとれるのだろうか?

まさにこれこそが、ブッダが戒めたことである。

熱心な檀家衆の一番の関心事がお寺の跡取り問題であったり、本堂の改修で一軒当たりいくらの寄付の割り当てがくるのかと戦々恐々するのだから、信者のほうもブッダに帰依した仏教の信者といえるのであろうか?

“利己他力本願ここに極めり”といったところか・・・。

近年、経済発展が著しい中国の不動産業者や葬儀ビジネス会社の日本視察勉強会が頻繁に行われている。世界で最も先にハイパー高齢化社会をむかえ、最も卓越した巧妙な葬式・墓地ビジネスを勉強して広大な中国大陸に取り入れようと画策しているようである。
当の中国も、長年の一人っ子政策の影響で、人為的な高齢化社会がすぐそこまできている。
民族・一族・家族という結びつきが日本以上に強固で面子を重んじるお国柄を考えれば、大きく発展することは間違いないであろうビジネスである。

このような、日本独自の仏教ビジネスモデルが輸出されることは、いずれ歴史上の恥になるであろう。

つづく

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2008-06-03

ブータンを知る

第5回 ブータン探検隊に初めて参加してきました。

平成20年6月1日(日)午後1時30分〜午後4時30分  千葉県 新習志野公民館 会議室で行われました。車で行きましたが、公民館をぐるっと回ったところに大きな無料駐車場があり、車で行かれる方にも便利です。北欧の組み立て家具屋さんIKEAのそば、と言ったほうが分りやすいでしょうか。

第1回 仏教講座(全5回) 仏教って何?ということでオモロイ坊主ことチンナワンソ(藤川清弘)和尚が講師として招かれ、とてもリラックスした雰囲気のなかで楽しく過ごせました。

お茶とブータンのお菓子が楽しめて、次回はブータン音楽が聴けるとの事でした。

第1回目ということで、藤川和尚の出家に至ったユニークな?経緯や、その後の泰国内を托鉢行脚修行の話しを興味深く伺い、テーラワーダ仏教(上座部仏教)についての基本的な解説や仏教サンガについての説明、出家式の詳細が語られました。

ブータン探検隊主催者のブータン人の旦那さんと日本人の奥さんが中心になってブータンについて色々話してくれました。特に、日本語が堪能なブータン人から直接ブータンのことや、ブータン人から見た日本についてお話しを伺えたのは、貴重な体験でした。

10名ほどのアットホームな集まりで、和尚の爆笑講義半分、ブータンへの興味本位な質問コーナー半分、と言った感じであっという間の3時間でした。

お近くの方は、参加されてみてはいかがでしょうか・・・中泰

ブータン探検隊  オモロイ坊主を囲む会  「オモロイ坊主を囲む会」Blog


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2008-05-30

ブータン探検隊

第5回  ブータン探検隊を実施いたします。

第1回  仏教講座(全5回)  仏教って何?

日 時  平成20年6月1日(日)午後1時30分〜午後4時30分
場 所  千葉県 新習志野公民館 会議室
会 費  隊員の方 1,500円  一般の方 2,000円  お茶とお菓子がつきます。
講 師  チンナワンソ(藤川清弘)和尚

チンナワンソ和尚は、不動産業・建設業を生業とし、かつては『地上げ屋』と呼ばれていたそうです。 バブルの後にタイで再起をかけて不動産会社を設立されたそう。
タイでは男性は一生に一度『出家』をしなければならず、社員から『社長(藤川氏)には無理』と言われたそう。
『できないわけはない』と、50歳で出家を経験。
還俗して、社長業に戻るが、『何かが違う!』と、51歳でタイのサムットソンクラン県ポムケウ寺で僧侶となる。
現在は、日本に戻られ、東京で『おもろい坊主の庵』を構えて全国各地で説法をされていらっしゃる。
 
『チベット仏教とは違う!』とおっしゃる方もいらっしゃるかもしれませんが、『仏教って何?』って思われる方はぜひ参加をしてください。

全5回シリーズ。 最終回は、みんなで瞑想も体験してみます。

オモシロイ企画ですね、そう簡単にはブータンいけませんから、中泰も参加予定です!!!





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2008-05-29

新宗教と新新宗教


日本の10大新宗教  島田裕巳  幻冬舎新書


私は、基本的にブッダの教えである原始・根本仏教にもっとも素直に惹かれる。

したがって、あまり他の宗教や新宗教(新興宗教)には違和感を感じている。

しかしながら、現在の日本の宗教で会員数を伸ばし、社会問題にまでなりうるほど新宗教や新新宗教に活力があるのはなぜなのであろうか・・・と、日頃から考えていた。特に都心部での若年層がこれほどまでに新宗教にのめり込んでいくのは、明らかに伝統仏教の各宗旨・宗派とは組織構成と布教システムの違いがあるのだろうなぁ、というぐらいに考えていた。

また、信仰に於いて偏見や差別は論外としても、盲信するのは如何なものか。
偏見からくる差別はよろしくないが、物事には思慮深い分別と言う意味での区別は必要である。
しかし、あらゆる考察をもってしてもカルトの定義は難しいし、あらゆる宗教が最初は新宗教として社会に登場するともいえる。
そこで、友人のN氏に教えてもらい手にしたのがこの本であった。新宗教を知る上で、入り口として最適な本であると考える・・・中泰


創価学会だけではない日本の新宗教。が、そもそもいつどう成立したか。代表的教団の教祖誕生から社会問題化した事件までを繙きながら、日本人の精神と宗教観を浮かび上がらせた画期的な書。

【内容情報】(「BOOK」データベースより)

多くの日本人は新宗教をずっと脅威と好奇の眼差しで見てきた。しかし、そもそも新宗教とはいかなる存在なのか。「宗教」の概念が初めてできた明治以後それがいつどう成立したか案外、知られていない。超巨大組織・創価学会に次ぐ教団はどこか、新宗教は高校野球をどう利用してきたか、などの疑問に答えつつ、代表的教団の教祖誕生から死と組織分裂、社会問題化した事件と弾圧までの物語をひもときながら、日本人の精神と宗教観を浮かび上がらせた画期的な書。

【目次】(「BOOK」データベースより)

はじめに/天理教/大本/生長の家/天照皇大神宮教と璽宇/立正佼成会と霊友会/創価学会/世界救世教、神慈秀明会と真光系教団/PL教団/真如苑/GLA(ジー・エル・エー総合本部)/おわりに

【著者情報】(「BOOK」データベースより)

島田裕巳(シマダヒロミ)
1953年東京都生まれ。宗教学者、文筆家。東京大学大学院人文科学研究科博士課程修了。放送教育開発センター助教授、日本女子大学教授を経て、現在は東京大学先端科学技術研究センター特任研究員、中央大学法学部兼任講師(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)





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2008-05-24

おシャカさんの誕生を祝う生誕祭!

以下、「オモロイ坊主を囲む会」通信 2008年05月21日 129号より転載・・・中泰

〜5月25日(日)『お釈迦様の誕生を祝う集い』のお誘い!〜

ミャンマー・カンボジヤ・タイの旅から帰ってきて、今日で早9日が過ぎた。

3日間ほどは旅の疲れがドーット出て、なにをするでもなくダラダラと過ごさせていただいたが、ここへきて、新宿青梅街道の常円寺をお借りし行う、『お釈迦様の誕生日を祝う祭り』の準備に追われています。

学問や知識ではなく“人生と言う大海での羅針盤”“人生の指標・道標”としての『お釈迦様の思想・実践哲学』を一人でも多くの人に知ってもらいたい。

そして今の問題の多い時代を生きている、日本の人々が少しでも楽に生きられれば!と、いたって比丘として中途半端な生臭坊主・落第坊主の俺がガラにも無く、大それたことを思い立ち日本に帰ってきて一年半。

オモロイ坊主を囲む会の世話人のみんなや、日本仏教の現職僧侶の皆様や各界の皆様が、献身的な協力を申し出てくださり、今年も開催させて頂くことになりました。

午前は、お釈迦様を讃える行事で、タイの寺院で修行されていた真言宗の若き僧侶による日本語解説付きのパーリ語の読経や、浄土真宗の僧侶の解説付き読経など、皆様に興味を持って聞いていただき、お経でお釈迦様を讃え、“生きとし生きるものの幸せ”を参加者全員で念じます。

午後は現職日本僧侶のライブやタイ舞踊・漫才など、参加して下さる皆様が、お子様ともに楽しんでいただける行事を企画しています。

ご家族・ご友人お誘い合わせて『お釈迦様の誕生を祝うお祭り』に、一人でも多くの皆さんが集ってくださることを、企画者一同心からお待ちしていますので宜しくお願い致します。

〜 生きとし生きるもの全てが幸せでありますように 〜

(藤川チンナワンソ清弘)



今年もやってきました。おシャカさんの誕生を祝う生誕祭!

仏教国の日本人なら、はずせませんね!
午前中の法要も、オモロイ坊主式! パーリ語のお経を解説たり、シャカフィロソフィーのシャワーを!
そして午後はバラエティーに富んだライブを見ながら、エスニック・ランチを!
お誘いあわせの上、遊びに来てください。
(世話人 福本)


【日時】5/25(日) 10:00〜16:00頃まで、お好きなタイミングでお越しください!!

  <スケジュール>
  10:00〜   オモロイ坊主式!よく分かるシャカの教え!
          タイの寺院で修行されていた真言宗の若き僧侶に
          よる、日本語解説付きのパーリ語の読経、浄土真
          宗の僧侶の解説付き読経など、“生きとし生きる
          ものの幸せ”を参加者全員で念じる、仏教式典!

          その後、“タイ式ヨガ”でリフレッシュ!

  12:30〜    エスニック・ランチ
  13:30〜16:00 スペシャルライブの数々!
          西口プロレス漫才、ラテンダンス、タイ舞踊、
          ブルースギター、ハニワ制作などなど
          盛りだくさん!


【会費】 2,000円 小学生以下は無料 
     *お酒はご自由にお持ち込み下さい!
     *お釣りのないように、お願いします。
     *本生誕祭のご支援、また藤川和尚の仏教活動費等、ご喜捨も受付中。

【場所】 東京・新宿・常円寺さんの、祖師道(入って右手の建物)
   *法要は1階で、ランチ、ライブはB1 で。

【交通】 JR新宿駅 西口徒歩7〜8分、地下鉄丸ノ内線西新宿駅 徒歩2分
      新宿警察署のはす向かい    http://www.joenji.jp/

【お申し込&問い合わせ】
事務局まで info@omoroibouzu.com

「オモロイ坊主を囲む会」Blog  オモロイ坊主を囲む会

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2008-03-20

『オモロイ・坊主サロン@坊主バー』

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泰国 ポムケウ寺 比丘 藤川(チンナワンソ)清弘

『オモロイ・坊主サロン@坊主バー』 3月15日(土) 15:00〜18:00 に参加してきました。

「オモロイ坊主を囲む会」
「オモロイ坊主を囲む会」Blog

なぜでしょうか?私はこのブログと出遭ってしまいました。
ブログやHPを読み進めるほどに、是非とも藤川和尚にお会いしたい、という衝動にかられて電車で2時間ゆられて新宿まで行ってきました。

私は泰国には15回ほど、印度には半年ほど滞在して旅をしたことがあります。
しかし、泰国でお坊さんが非常に尊敬され敬われているのは十分に理解しているつもりですが、何しろお坊さんに話しかける事さえままならず、それはそういうものなのだと理解していました。それが、日本の大乗仏教とは違うシャム王国の尊い仏教なのだと・・・。
でも本当の所は、泰国でお坊さんの友達を作ろうと数え切れずトライしたことがあったのです。外国人である事をいいことに何度も話しかけてみましたが、すべてスルリとかわされていたのでした。

泰国に日本人のお坊さんがいることは知っていました。しかしこんなチャンスが電車で2時間のところにあるのです。
質問してみたいことをいくつも整理し、ドキドキしながら坊主バーの階段を2階へと上りました。そこには黄衣を纏った藤川和尚が鎮座されていました。

場の空気は和んでおり、すでに数名が和尚の話を聞いていました。関西弁(京都弁?)で語られるマシンガントークの和尚に圧倒されました。真剣なミャンマーの政治情勢の話から、不動産屋の裏事情、資格取得相談、そして恋愛話までと話題に事欠かないあっという間の3時間でした。
最後の方で質問も受け付けてくれて、非常に分りやすく言葉を選びながら真剣に答えている和尚の姿は、これが仏教のお坊さんだよな、これが本来あるべき仏僧の説法行脚なのだなぁと、感慨深いものがありました。
大乗仏教のお坊さんがあまりやらなくなってしまったお釈迦様の時代により近い姿勢を見た気がしました。

参加者の半分以上が若い女性なのも驚きでした。
泰国では、向こうからお坊さんが来たらサッと道を開け、触れないようにする女性の気遣いが見て取れます。間接接触でさえ戒律違反となる泰国で、若い女性がお坊さんに話しかけることなんてできるはずがありません。
今回、ひざをつき合わせる距離で和気あいあいと女性が混じる環境で、和尚とお話が出来たのは本当に貴重な体験でした。この様な体験は、泰人なら出来ないのではないでしょうか。藤川和尚という貴重な存在がなしえた不思議な世界でした。

是非ともまた、参加させていただきます。 

【次回告知】
◆4月12日(土) 15:00〜18:00
◆会費: @2,000円(ワンドリンク付き)
ソフトドリンク、アルコール飲料可能。
追加は、各自実費でオーダーを!
極楽浄土、愛欲地獄等素敵なネーミングのオリジナルカクテルも
オススメです。
◆場所: 新宿荒木町の坊主バー
東京都新宿区荒木町6−42 AGビル2階
 03−3353−1032

坊主バーとは東京の新宿・四ツ谷 荒木町と中野、大阪ミナミに 僧侶が経営している居心地の良い、不思議なバー。
その坊主バーの協力により、藤川和尚と共に、飲みながら 気軽にお釈迦さんの教えに触れてもらおうというコンセプトで お気軽な坊主サロンをオープン!!
(もちろん、藤川和尚は戒律に従い、お酒は飲みません!)
お香の漂う店内は仏壇あり、説教あり、お経ありと盛りだくさん。
適当に遊びに来てください。
なお、お越しいただく際は事前にご連絡、エントリーを していただけると助かります。

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2008-03-07

「Bible and Koran」

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ネット時代の素敵な試み。
比較宗教学はネットにより、ここまで身近になるんだと感慨深いものがある。
9.11以降の流れや、オイルマネーを財源とするイスラム銀行やイスラム国家ファンドの隆盛を目の当たりにして、行き過ぎた振り子はやはり自然の摂理で逆に振れ始める。
以下に紹介したい。

Media Network Weblogは2007年12月13日に、「Bible and Koran」というキリスト教とイスラム教の間の類似性について解説したサイトが1週間前にオープンして、25万人以上が訪問したと報告した。

「Bible and Koran」英語  「Bible and Koran」日本語翻訳

Webサイトには、同じページに聖書とコーランから不可欠のテキストを置き、読者が比較できるようになっている。また、読者は、諸条件で検索すると、両方の本から参照できるようになっている。

もともと、両方のテキストは近似したリソースだから、昔から研究者は、その比較をしてきたが、ここに来てデジタル化が進み、リアルタイムで比較できる!
このプロジェクトは、the brainchild of Radio Netherlands Worldwide and Dutch broadcaster IKONが開始し、英語、オランダ語、およびアラビア語で表示できるようになっている。

たしか、ノアの方舟なども、そっくりな記述があるはずです。このサイトでは、両方のHoly Booksに現れる18の古典的な話を特徴としている。やっぱり、研究者が参加していますね!
またこのサイトには、聖書とコーランについて、キリスト教とイスラム教がお互いに話し合える架け橋としてフォーラムもある。
キリスト教とイスラム教がいがみ合っているより、本当は兄弟なのです。少し勉強をしていれば、すぐ判ることなのですが---

本当は、そこにユダヤ教も入れるとよいのですが、ユダヤ教は古く!威張りたがるから---
暴力的なのは、キリスト教!
長男がユダヤ教、次男がキリスト教、三男がイスラム教なのです。
三男のイスラム教が、本当はもっともおとなしく、素直なのです。
以上 出典 事典ドットコム - jiten.com

私は上記のコメントを鵜呑みにする気はないが、日本の報道はアメリカ・白人・キリスト教びいきであると考えている。海外でその国の国営ニュース番組を視聴する機会があれば一目瞭然である。日本人にとって生命線ともいえる産油国でありながら、イスラム世界は日本人にとって馴染みが無い。
いまや世界中で垂れ流されているCNNやBBCニュースなどは国際的な世論対策のための国家戦略ではないかと思えるほどだ。
何が真実で何が公平かが、分りにくい時代である。せめてフェアーなやり方として、相手のことをよく勉強し両方の主張をそれぞれの立場から聞く。

対岸の火事だと無関心なのは最も酷い態度なのかもしれない・・・。


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2008-03-06

アップルコンピュータの創設者、スティーブ・ジョブス氏のスピーチ!

「オモロイ坊主を囲む会」Blogで素晴らしいスピーチと出遭いました。

スピーチは、3部構成で宿命・お導き・死生観について語られており、仏教思想の持ち主ではないかと思えるほどです。
是非とも多くの方に御覧いただきたいです。 中泰

アップルコンピュータの創設者、スティーブ・ジョブス氏のスピーチ!





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2008-02-28

カール・ベッカー

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何気ないことが鮮明な記憶を呼び覚ます、そんな事がある。

先日、NHKをみていたところ“爆問学問”という番組に哲学的な彫りの深い初老の白人が出演していた。カール・ベッカーその人である。

私はアジアを放浪していた時に、バンコクの安宿街カオサンロードの古本屋でなぜかカール・ベッカーの本に惹かれ、自分が持っていた本2冊と物々交換をしてもらった。13年ぐらい前のことだ。日本語の活字に飢えていた私は、窓のない暗くジメジメした安宿で一気に読破した。旅立つ時に荷物をなるべく軽くしたい私は、路上の小間物売りの少年と交渉してセルロイドの石鹸入れと交換して以来、まったく彼のことを思い出したりすることもなく過ごしてきた。

番組は、京都大学宗教学の教授である彼の部屋で始まった。爆笑問題の大田とのやり取りが続き、興味深いところへ入っていく。かなりの勉強家である大田もカール・ベッカーのかもし出す雰囲気と懐の深さに飲まれている様だ。

カール・ベッカー曰く、ある意味、日本は凄いことになっている。日本は、日本人の死生観はすべてを超越している。日本人の生と死・死生観は、死生学まで高められており、万物は有限だと認識することに起因している。大切なものほど有限であると気付いて欲しい、と言っていた。

不良品日本人の私としてはいささかむず痒い感覚であるが、彼特有のユーモアを交えたテレビ用のリップサービスだとしても有難い事だ。
アメリカ人で、広く宗教を勉強した彼が強く仏教に惹かれ、その中から日本を選び日本語を勉強して日本語で講演をしてくれて日本語の本を出版している。
その彼が京都大学の教授に納まっていてくれる。その幸運をどれだけの日本人が認識し享受しているのだろうか?

大田の死生学とはなんぞやという問いに彼は答えた。私はその先に何があるのか知りたい、ワカラナイから追求してみたいと言った。各分野の本当の一流といわれる人は物事を一面から見て断定するようなことは決して言わない、そしてまず相手の話を辛抱強く聞く。

彼の“その先を知る作業”は彼の命ある限り続くのであろう。そのアプローチの方法はユニークで、終末末期治療・介護・尊厳死・自殺抑止と多彩であり、非常に精力的に活動されている。

以下に彼の経歴とHPを記すので、是非とも沢山の方に一読願いたい。
最後に彼の活動の拠点は京都なのでなかなか講演を拝聴する機会に恵まれない。東京などの関東での講演予定をお知りの方はご一報下さい。

こころの未来研究センター
良い生き方良い死に方
カール・ベッカー研究室

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2008-02-25

伊藤若冲に想う

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『紫陽花双鶏図』 伊藤若冲 作

【いとう じゃくちゅう、 正徳6年2月8日(1716年3月1日) - 寛政12年9月10日(1800年10月27日)】は、江戸時代の京の絵師。写実と想像を巧みに融合させた「奇想の画家」として曾我蕭白、長沢芦雪と並び称せられる。

正徳6年(1716年)、京都・錦小路の青物問屋「枡源」の跡取り息子として生まれる。23歳のとき、父・源左衛門の死去に伴い、4代目枡屋(伊藤)源左衛門を襲名する。「若冲」の号は、禅の師であった相国寺の禅僧・大典顕常から与えられた居士号である(「居士」は、在家の仏教信者のこと)。

大典の書き遺した記録『藤景和画記』によると、若冲という人物は絵を描くこと以外世間の雑事には全く興味を示さなかったという。商売には熱心でなく、酒もたしなまず、生涯、妻もめとらなかった。40歳の宝暦5年(1755年)には、家督をすぐ下の弟に譲ってはやばやと隠居し(当時、40歳は「初老」であった)、念願の作画三昧の日々に入った。以後、85歳の長寿を全うするまでに多くの名作を残している。

若冲はつい最近まで知る人ぞ知る画家であったが、1970年に辻惟雄の『奇想の系譜』が出版されて以来注目を浴び、特に1990年代後半以降その超絶した技巧や奇抜な構成が再評価され、飛躍的にその知名度と人気を上げている。
以上 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

私は書画・骨董などには縁のない人間であるが、何故か伊藤若冲に惹かれる。理由は自分でも分らない。高校生の頃から友達は、池袋・新宿・原宿・渋谷で遊んでいたのに、私は神田の古本屋街やジャズ喫茶、上野のお山の美術館や浅草などに足しげく通っていた。

日本の文化財が海外に流失している典型的な例が伊藤若冲ではないだろうか。浮世絵などは、日本人でも誰もが知っているような多くのヨーロッパの画家に影響を与え、西洋の画壇にセンセーショナルな日本ブームを引き起こした。名作から駄作までが多数海外流失し、そしてその多くが長年の努力により買い戻され本来在るべき場所に戻りつつある。

作者知れず、画家や作家の素性がよく分らないのに高い評価を受けている作品もあるというのに・・・、伊藤若冲は評価という面では冷遇されてきた。現在、伊藤若冲のコレクターの筆頭はアメリカ人の一個人である。

          
若冲になったアメリカ人  ジョー・D・プライス物語


国の文化財とは、歴史の証人であり国民の誇るべき足跡である。拠りどころとなる道標なのかも知れない。先日、お隣の韓国ソウルで韓国国宝第一号の南大門が消失した。韓国出身で日本のテレビで活躍中の女性コメディアンは、このニュースに触れ、“南大門は韓国国民ににとって母のような存在、その母が燃えて崩れていく様は耐えがたい苦しみと喪失感を国民に与えた”と涙ながらに声をを詰まらせながら語った。そのやるせない喪失感は怒りへと変わり、矛先は国やソウル市へと向けられている。

夜間の警備がほとんどいなかった、フェンスもなく誰でも近づけた、スプリンクラーが設置されていない、保険が信じられないぐらい小額しか掛けられていなかった、お金の問題ではない、立て直されてもそれはもはや我が母なる南大門ではないなど、そう簡単には収まりそうにない。
これだけの存在となりうる、国民の心の拠りどころとなる文化財は我が国にはあるだろうか?これは文化財側の問題ではなく、国民の一人一人の心の持ち方と国の態度によるものが大きいのではないか。教育の問題でもある。

なにもそこまで大げさではないかという向きもおありでしょうが、長崎・広島に投下された原子爆弾の投下予定地に京都も入っていた。それを知ったアメリカ人の有志が人類にとって貴重な文化財の宝庫である京都にだけは原爆を落とすべきではないと色々な方面にかけ合い、難を逃れた。
現在の京都が日本人だけでなく、多くの外国からのお客様を引き付けてやまないのはご存知の通りである。

他を知ることで己の素晴らしさや問題点を知る。他を知る心の窓をあけ、自分を知ってもらう努力を惜しまずする。国家や民族間の衝突は、利害関係と宗教問題が大きく関与している。その解決に文化財が一躍買う。美術品としての評価はその筋の専門家におまかせするとして、文化財としての位置づけは国の姿勢そのものであるべきである。
そうあって欲しいと切望する。

残念ながら、世界中の世界遺産・名所・旧跡にある落書きには必ずといっていいほど、日本語がある・・・。

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2008-02-24

学生の品格

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本日所用で、東京大学に行きました。私は高校生の時、大学の学食を食べ歩くというのを楽しみにしておりました。東京の主だった大学は女子大を除いてほぼ制覇しました。しかし、どうも敷居が高くて、すぐそばの高校に通っていたにもかかわらず、東京大学には行ったことはありませんでした。

やはり始めていくのだからと赤門を見学し正門から入りました。校内案内板で目的の校舎を確認し、まだ時間があるようなので学食に行くことにしました。

案内掲示板に学食が見当たらないので正門の守衛さんに場所を尋ねると、こちらが恐縮してしまうぐらい丁寧に、そしてニコヤカに教えていただきました。これだけで東大の印象が良くなりました。外国からのお客様にもキビキビと対応されていました。
教えていただいたとおりに歩を進めると、正面に安田講堂がありその他の歴史的価値のある建造物に圧倒されました。
また、非常に開かれたキャンパスである印象を受けました。入学前の学校見学にこられたお子さんから90歳ぐらいのお年を召したかたまで、さまざまな年齢層の方が見受けられました。土曜日でオープンキャンパスなどの聴講も盛んに行われているからでしょうか。

学食でC定食を堪能し、やはり栄養士さんが頭がよくなる食べ合わせとか考えて献立しているのかなぁ、などと考えながら食後に、日本の最高学府のキャンパスで2月の半ばにしては暖かい風に吹かれていると、隣にいた初老の二人組みがタバコを吸い始めました。
そこへ通りかかった白衣を着た学生さんが二人に声をかけました。

恐れ入りますが外部から来られた方ですか?タバコは喫煙所でお願いしますと低姿勢で丁寧にお願いした。
すると、二人組みは悪びれることもなく、探したんだけど見つからないんだよね、禁煙て書いとけよ、不親切だよこの大学、携帯灰皿持っててもだめかね、と憮然とした態度をとった。その学生さんは、確かにそうですねご案内しますと二人を促し、喫煙所まで案内した。

学生さんが戻ってきたので、偉いねぇ、案内が少ないのは歴史的な建物にあちこちプレートとかやたらに打ち付けたりできないから、と私が尋ねると意外な答えが返ってきた。

もちろんそれもあると思うんですけど、ちょっと学生に聞いてもらったら分ると思うし、それに過剰な案内板とか禁止事項の看板とか恥ずかしいですよね、決まりを多く作りすぎると窮屈になるのでそれぞれが節度を持てばそれで済む、と言うのが先輩がたから受け継いだ学生自治の伝統なんです。

私は思わず、さすがだね、東大生がんばって下さい、と自然に言葉が出ていた。
周りを見回すと、校舎から校舎への移動用と思われる自転車やバイクも節度をもって駐車されていた。これなら、駐輪場を作ってここにとめて下さいという看板もいらない。景観もスッキリしていてお金もかからない。なによりスマートである。

すがすがしい気持ちになれたのと同時に、大学生当時の自分とは人格がまるで違うと悟り、急に居心地が悪くなり赤門より根津神社へ向かった。
歩きながら、素晴らしい学生が集まるから品格があるのか、東大生だという自負がそうさせるのか・・・。自分の襟を正すためにも1年に1回くらいは品格について考えてみたい。

気分がいいので2駅分歩いて商店街まで行くと、二人乗りの暴走自転車がご婦人の体をかすめてヒヤッとした。居酒屋の横には、立小便禁止と書いてあった。コンビニには、家庭のごみはお断りと張り紙がしてあった。
駅に着くと、違法駐車自転車は強制撤去します○○警察という看板がたおれて歩道をふさいでいた。


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2008-02-23

女性の品格

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中泰(ちゅうたい)こと中道泰慈(なかみちたいじ)が日々の生活の中で気になった事、お聞きした素敵なお話、そして微力ながら声を上げていかなければならないと感じたことについて書きとめてみたいと思います。

カテゴリ名は、中泰の気付きとしました。

先ほど見たテレビ番組に空前の大ベストセラー作家となられた『女性の品格』の著者、坂東眞理子先生が出演されていた。
お話の中で、非常に印象深い教訓を示されています。

世間を広く持ちなさい、好き嫌いを言ってはいけない。怒りを顔に出してはいけない。なぜなら怒った方はすぐに忘れるが、怒られた方はずっと覚えているものです。
それが出来ずにいると、いづれ本当に大切な人と自分が成長できるチャンスをのがし、自分にとって居心地のいい集団を作り、気付いた時には視野がせまくなり、本来の自分なら絶対にやらないような事をしてしまう。
それは、人間が本来持っている性質である。

先生のお話を私は以下ように解釈しました。
この短いお話の中に、どれだけの素晴らしい教えが凝縮されていることでしょう。
世間を広く持つと言うことは、すなわち自分と違うもの、異質なものや未知なものに興味を持ち受け入れる心と感性の窓を開けておく、ということではないでしょうか。
好き嫌いや怒りは誰にでもあるものです。それでも心の窓を開けておけば、多少でも相手の身になって物事を考えられるものです。それが出来ず、出来ずとも心がける事さえも忘れれば、因果応報の業に身をゆだねることになってしまいます。すべての結果には原因があるのです。

私は先生のこのお話を、何回も自分の中で反芻してみました。自分に同調してくれるイエスマンばかりで周りを固めている方は要注意です。噛みしめれば噛みしめるほど、あらゆる場面に適合するお話です。国家同士でも、企業同士でも、仕事場の仲間同士でも、そして学校でも、友達同士でも理屈の理の根っこは、すべて同じなのではないでしょうか?

                  著者 坂東眞理子 

プロフィール
1946年、富山県生まれ。東京大学卒業。69年総理府入省。
内閣広報室参事官、男女共同参画室長、埼玉県副知事等を経て、98年女性初の総領事(オーストラリア・ブリスベン)。2001年内閣府初代男女共同参画局長。04年昭和女子大学教授を経て現在、昭和女子大学学長、同大学女性文化研究所長。
著書に『副知事日記 ― 私の地方行政論』『ゆとりの国オーストラリア ― ブリスベン総領事見聞録』(以上、大蔵省印刷局)『男女共同参画社会へ』(勤草書房)『新・家族の時代』(中公新書)などがある。

theme : 仏教・佛教
genre : 学問・文化・芸術

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