2008-04-16
「ビハーラ」って何?4of8
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列車はバンコクに入っていたが、終点に近づくにしたがって徐行と停止と繰り返してあまり前へ進まない。乗客の中には勝手に線路に降りて下車してしまう人も少なくない。
私はというと発熱・悪寒・下痢・吐き気にくわえて体の節々が痛み始めていた。バザールのような市場の横で列車が停車した時、ナースの方にここならタクシーがつかまるから下車して病院に向かったほうが早いと言われた。バックパックを背負うのを見知らぬ青年が手伝ってくれた。
ナースの方々を始め、お世話になった周りの乗客の方に会釈をすると皆が手を合わせ挨拶を返してくれた。先ほどバックパックを背負う時に手伝ってくれた青年が先に降りてヨロヨロした私が下車するのを手伝ってくれた。
6本の線路を越えて柵をまたいでタクシーに向かった。
この頃のタイのタクシーには料金メーターなどなく、行き先を告げて交渉しだいで料金が決まる真剣勝負が毎回繰り返されるというのが普通であった。料金は需要と供給で決まるようで、雨なんかが降り始めるとたちまち料金がアップするというのが常である。私の経験からすれば、外国人が交渉なしで乗ろうものなら、遠回り・ボッタクリ・コミッションがもらえるお土産やによる、女性を紹介すると怪しげなところへ連れて行くというのが相場で、すべていらないから真っ直ぐ目的地へいけ!というと、それならミスター 男はどうか?と真顔でいわれて笑い転げたこともある。
一台のタクシーに乗り込みナースの方が書いてくれたメモを渡すと、運転手はミラー越しに私の顔をチラッと見て車を出した。不安であったが、交渉する気力も体力も残っていない私は一定の周期で押し寄せる腹痛と震度4はあろうかという寒気からくる震えに耐えているのが精一杯である。ただぼんやりと車のダッシュボードに並んだ仏像のお守りを見ていると、運転手が仏像をグットグッドと親指を立てながら連発していて、「グッドじゃねーよ、オレはベリーバッドでオー マイ ゴッドならぬオー マイ ブッダだよ、おっさんと心中するのはいやだから真っ直ぐ前をむいて運転してくれよ!」と心の中で叫んでいた。
ひどい渋滞の中を40分ほど走って病院の門のところで停車した。
案内板を見ればかなり広い敷地のようで何処に行けばいいのかここからが大変だなぁと考えていると、運転手と門番のこぜりあいがあり、私が渡したメモを見せると門番がどこかに電話して確認をとったようで面白くなさそうな態度で、行け!と手で合図をした。
車はひどくクラクションを鳴らしながら人を蹴散らして進み、いくつもの建物を過ぎて迷路のような道のつきあたりで停車した。降りろとの手振りで私が行くべき建物を指差した。
距離的には120〜150バーツぐらいかなーとおもったが、かなりよくやってくれたしチップも含めて200バーツ払ってみた。運転手は一瞬考えて100バーツ返してくれた。タイでこんなタクシードライバーがいるのかと驚きながら、入り口への階段をフラフラと上った。
入り口を入ると沢山の患者と付き添いで溢れ返っていた。
日本の病院と違ってやたらとやかましい。圧倒されて呆然として立っていると、とても邪魔になっている自分に気付き我に返ってそのフロアを歩いてみたが、英語表記が無いので何処が受付でそこが何科なのかも分らない。何人かに話しかけてみたが英語が分らず逃げてしまう。意を決して一番身なりのしっかりしているお金持ちそうな社長風の男性に話しかけると英語が少し分るようで事情を話し、ナースの方が書いてくれた2枚目のメモを渡してみた。
すると態度が激変し、まず椅子を確保して私を座らせ絶対にここから離れるなと言い残して私のメモとともにどこかへ消えた。
それにしても、あの二枚のタイ語のメモには何が書いてあるのだろう?
まるで1枚は通行手形で、もう一枚は黄門様の印籠みたいだなー、と考えていると20分ほどして先ほどの男性がドクターと看護婦さんを従えて戻ってきた。
ドクターは日本語が堪能で看護婦は英語がペラペラで日本語も片言話せた。
ドクターは親しみをこめて私のとなりに座り、名前を名乗り内科医であること、そして日本の医学部を出て日本の国家試験を合格して東京の大学病院で12年間働いていたこと、となりに立っている看護婦は私の担当で日本に看護研修に行ったことがあり日本の看護婦さんに負けないくらい訓練されていること、この病院では沢山の在泰ビジネスマンとその家族が治療を受けていること、必要であれば日本人の通訳やヘルパーが呼べること、朝は洋食が選べて昼と夜は日本食が出前できること、海外旅行保険などに入っていればキャッシュレスで治療が受けられること、キャッシュカードが使えること、病院内ではチップがいらないこと、そして最先端の高度な手術や医療機器が必要な場合は、希望により医師や看護婦が同行して日本に搬送できることなどを手短に丁寧に説明してくれた。
ドクターはさらに、私も不慣れで言葉が不自由な外国で病気になったらどれだけ心細いかは知っています。日本には、20年近く住みましたが沢山の人が親切にして助けてくれました。タイでお困りの日本人に親切にできることは私の喜びです。礼儀正しい日本人は好きですが、遠慮はだめなことです、何でも私と看護婦にきいて下さい、と・・・。
いくつかの検査を経て個室に入院になった。
注射を2本と点滴を2本打たれて病室から外を見ながら、あの先生は凄いなー、凄い人物だと感心した。病気を治す前に私の心の不安を見事に見抜いて取り除き、超エリートであることなど微塵も所作に出さない。看護士さんもほとんど喋らなかったが、日本の研修で覚えた目茶苦茶な日本語を駆使して場の雰囲気を和ませ常に南国特有の人懐っこい微笑で慈悲深く接してくれた。
安堵感からかすぐに眠りに落ちた。
この病室には、ここにたどり着くまでに出逢った人々の慈悲の心が満ちている、そんな幸せ感に包まれて異国での入院生活が始まった。
つづく
バンコクゼネラル病院(日本語)
現在のバンコクゼネラル病院は施設・設備・スタッフともに世界水準です
画期的です オンラインお見舞い
バンコクゼネラル病院に入院されているお友達や親戚の方に簡単にお見舞いのメッセージを贈ってみませんか。
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こんにちは
楽しい記事を読ませていただきました。ありがとうございます。
yussa様
コメントありがとうございます。
これからもよろしくお願い致します。
これからもよろしくお願い致します。
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