2008-06-11
日本の仏教難民 ??? 2
最近は、「友人葬・家族葬」なる僧侶を呼ばずに、遺族・親族・友人など、故人と親しい人のみによって執り行う葬儀・告別式が都心部を中心に一般化し始めている。
檀家でお墓がある人も、郷里に跡取りがいないので都心郊外の“霊園”にお墓を移すことが盛んに行われている。
ある宗派で、実家のある郷里に跡継ぎや墓守がいなくなるとどうしても足が遠のく、というのでお坊さんにいわゆる“魂抜き”をしてもらい(もちろん有料)、都心の自分の住んでいる便のいい場所の同じ宗派のお寺の檀家になり、そこにお墓を移すということになった。しかしその宗派では、伝統的に農村部で信者が多かった為、都心やその郊外には寺も墓地も絶対数が足りない。そこで本部号令の元、都心郊外に墓地を建設している。
新たな墓地建設のいい土地がみつかっても、都心から高速を使っても2時間以上かかる所の場合には、客寄せパンダ、おっと失礼、信者を寄せる為の巨大モニュメントを建造したりしている。
かくゆう私も吸い寄せられるように馬鹿馬鹿しいと思いながらも先日拝観してきた。
これは、以外にも好評のようで、他の仏教国からもそのモニュメントを観るために観光バスで日参しているほどである。
その仏像型モニュメントにはエレベーターがついており、最上階まで上れば仏像の目のところから景色が一望できるようになっている。
その巨大さには度肝を抜かれたが、日本人や韓国人、中国人は次々と上っていくのにテーラワーダ(上座部)仏教の国から来た人々は、外から拝むだけで仏像の中に入って上ろうとはしない。その意味を日本人の僧侶や信徒は分っているのだろうか?と気恥ずかしい気分がした。
通夜や葬式はやる。しかし、お坊さんは呼ばずにヒーリングの音楽などでお経はない。したがって線香やお焼香というものもなく、一輪の花を参列者が献花台にそなえる。
あるいは、お焼香もお経もあるが、お経はCDなどということもある。
極めつけは、故人の遺言であるからと通夜や葬式は行わず、慢性的な火葬場不足の為、遺体をドライアイスなどで保存して数日待って焼き場に持っていって火葬にするだけ。
墓はもちろん位牌も仏壇も棺おけも骨壷もいらない、ただ焼いて、郷里の川にそっと流してくれというシンプルなものまで登場している。
いわゆる新宅で核家族の家庭には、神棚も仏壇も無い。
したがって宗教心も信仰心もない、というわけでなく、特定の宗旨宗派の檀家ではない。つまり、どれがいいかと言われれば仏教になるのだろうが、知り合いに坊さんもいないし、何だか金がたいそうかかかると檀家である友人から恨み節ともとれる愚痴をきいていると、檀家になり墓なぞ残したら子どもに迷惑をかけることになると考えてしまう。
また、笑い話のような切実な話しもチラホラ聞く。
自分の親の葬式は兄弟5人で出したから負担も1/5で済んだが、一人っ子の一人娘の我が家なんかは、婿に面倒見てもらうことになる。まだ婿ならいいが、娘が嫁にいったら他人に経済的負担を強いる事になる。かといって、実家の墓に長男で跡をとっている兄貴と一緒に入れてもらうわけにもいかない。
そこで、日本人は気付いてしまったのですね、そう“霊園”です。
友人葬・家族葬+宗教宗派を問わない霊園=安価で自由な葬儀と自由な墓石
これで、坊さんへのキックバック(コミッション)も葬儀の費用や墓石に上乗せされなくて済むじゃないかと・・・。
事情は、それぞれであろうが、先日の読売新聞の記事を下記に引用したい。
読売新聞社が17、18日に実施した年間連続調査「日本人」で、何かの宗教を信じている人は26%にとどまり、信じていない人が72%に上ることがわかった。
ただ、宗派などを特定しない幅広い意識としての宗教心について聞いたところ、「日本人は宗教心が薄い」と思う人が45%、薄いとは思わない人が49%と見方が大きく割れた。また、先祖を敬う気持ちを持っている人は94%に達し、「自然の中に人間の力を超えた何かを感じることがある」という人も56%と多数を占めた。
多くの日本人は、特定の宗派からは距離を置くものの、人知を超えた何ものかに対する敬虔(けいけん)さを大切に考える傾向が強いようだ。
私はこの記事にある種のショックと警戒感、そして落胆を覚えた。
■全国の仏教寺院数 約7万7千か寺
■僧侶の数 約30万人
■信者数 約6000万人
ということになっている。これは、宗教法人を取得している団体だけで、仏教系施設や信者はさらに2割増し程度になると思われる。
すでに飽和状態と言われるコンビニエンスストアでさえ4万店舗前後である。
約7万7千か寺のハコモノと約30万人の僧侶と約6000万人の信者をようしている日本の大乗仏教界が1500年以上の時を経て、先祖崇拝と自然崇拝と神秘主義の無宗教国民を創り出してしまっているのである。
これでは、日本の国民が新宗教や新新宗教などの新興の宗教やカルトに流れてしまうのも致し方ないのではなかろうか!
政教分離の原則は支持する私であるが、法律や政治で子ども達に道徳心や倫理観を養わせることはできないのも、現在日本の世相をみれば明白な事実であろう。
なにかと親が悪いのだといわれる昨今であるが、“子は親の鏡”というならば、
“世相は日本仏教界の鏡”なのではないであろうか?
つづく
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檀家でお墓がある人も、郷里に跡取りがいないので都心郊外の“霊園”にお墓を移すことが盛んに行われている。
ある宗派で、実家のある郷里に跡継ぎや墓守がいなくなるとどうしても足が遠のく、というのでお坊さんにいわゆる“魂抜き”をしてもらい(もちろん有料)、都心の自分の住んでいる便のいい場所の同じ宗派のお寺の檀家になり、そこにお墓を移すということになった。しかしその宗派では、伝統的に農村部で信者が多かった為、都心やその郊外には寺も墓地も絶対数が足りない。そこで本部号令の元、都心郊外に墓地を建設している。
新たな墓地建設のいい土地がみつかっても、都心から高速を使っても2時間以上かかる所の場合には、客寄せパンダ、おっと失礼、信者を寄せる為の巨大モニュメントを建造したりしている。
かくゆう私も吸い寄せられるように馬鹿馬鹿しいと思いながらも先日拝観してきた。
これは、以外にも好評のようで、他の仏教国からもそのモニュメントを観るために観光バスで日参しているほどである。
その仏像型モニュメントにはエレベーターがついており、最上階まで上れば仏像の目のところから景色が一望できるようになっている。
その巨大さには度肝を抜かれたが、日本人や韓国人、中国人は次々と上っていくのにテーラワーダ(上座部)仏教の国から来た人々は、外から拝むだけで仏像の中に入って上ろうとはしない。その意味を日本人の僧侶や信徒は分っているのだろうか?と気恥ずかしい気分がした。
通夜や葬式はやる。しかし、お坊さんは呼ばずにヒーリングの音楽などでお経はない。したがって線香やお焼香というものもなく、一輪の花を参列者が献花台にそなえる。
あるいは、お焼香もお経もあるが、お経はCDなどということもある。
極めつけは、故人の遺言であるからと通夜や葬式は行わず、慢性的な火葬場不足の為、遺体をドライアイスなどで保存して数日待って焼き場に持っていって火葬にするだけ。
墓はもちろん位牌も仏壇も棺おけも骨壷もいらない、ただ焼いて、郷里の川にそっと流してくれというシンプルなものまで登場している。
いわゆる新宅で核家族の家庭には、神棚も仏壇も無い。
したがって宗教心も信仰心もない、というわけでなく、特定の宗旨宗派の檀家ではない。つまり、どれがいいかと言われれば仏教になるのだろうが、知り合いに坊さんもいないし、何だか金がたいそうかかかると檀家である友人から恨み節ともとれる愚痴をきいていると、檀家になり墓なぞ残したら子どもに迷惑をかけることになると考えてしまう。
また、笑い話のような切実な話しもチラホラ聞く。
自分の親の葬式は兄弟5人で出したから負担も1/5で済んだが、一人っ子の一人娘の我が家なんかは、婿に面倒見てもらうことになる。まだ婿ならいいが、娘が嫁にいったら他人に経済的負担を強いる事になる。かといって、実家の墓に長男で跡をとっている兄貴と一緒に入れてもらうわけにもいかない。
そこで、日本人は気付いてしまったのですね、そう“霊園”です。
友人葬・家族葬+宗教宗派を問わない霊園=安価で自由な葬儀と自由な墓石
これで、坊さんへのキックバック(コミッション)も葬儀の費用や墓石に上乗せされなくて済むじゃないかと・・・。
事情は、それぞれであろうが、先日の読売新聞の記事を下記に引用したい。
読売新聞社が17、18日に実施した年間連続調査「日本人」で、何かの宗教を信じている人は26%にとどまり、信じていない人が72%に上ることがわかった。
ただ、宗派などを特定しない幅広い意識としての宗教心について聞いたところ、「日本人は宗教心が薄い」と思う人が45%、薄いとは思わない人が49%と見方が大きく割れた。また、先祖を敬う気持ちを持っている人は94%に達し、「自然の中に人間の力を超えた何かを感じることがある」という人も56%と多数を占めた。
多くの日本人は、特定の宗派からは距離を置くものの、人知を超えた何ものかに対する敬虔(けいけん)さを大切に考える傾向が強いようだ。
私はこの記事にある種のショックと警戒感、そして落胆を覚えた。
■全国の仏教寺院数 約7万7千か寺
■僧侶の数 約30万人
■信者数 約6000万人
ということになっている。これは、宗教法人を取得している団体だけで、仏教系施設や信者はさらに2割増し程度になると思われる。
すでに飽和状態と言われるコンビニエンスストアでさえ4万店舗前後である。
約7万7千か寺のハコモノと約30万人の僧侶と約6000万人の信者をようしている日本の大乗仏教界が1500年以上の時を経て、先祖崇拝と自然崇拝と神秘主義の無宗教国民を創り出してしまっているのである。
これでは、日本の国民が新宗教や新新宗教などの新興の宗教やカルトに流れてしまうのも致し方ないのではなかろうか!
政教分離の原則は支持する私であるが、法律や政治で子ども達に道徳心や倫理観を養わせることはできないのも、現在日本の世相をみれば明白な事実であろう。
なにかと親が悪いのだといわれる昨今であるが、“子は親の鏡”というならば、
“世相は日本仏教界の鏡”なのではないであろうか?
つづく
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管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
初めまして〜さんへ
コメントありがとうございます。
無記名で意見が言えるネットの世界の事なのでいろいろな人がいます。
あまり気にされないほうがよろしいですよ!
初めまして〜さんのご意見はもっともだと思います。私も「つらつら日暮らし」を拝見させていただいております。
私はこのような記事を書いていますが、仏教が大好きです。しかし、ブッタの教えを勉強すればするほど日本の仏教の現状にガッカリとするのです。
私は、色々な宗派のお坊さんや、タイの上座部仏教のお坊さんなども親交があるので、彼らに貴方と同じような疑問をぶつけた事が何回もあります。
心あるお坊さんも、若手からベテランまで沢山いるのです。そんな彼らも悩んでいます。既に変わらなければいけないと、自分で出来る事から始められているお坊さんも少数ではあるがおられます。
中泰
無記名で意見が言えるネットの世界の事なのでいろいろな人がいます。
あまり気にされないほうがよろしいですよ!
初めまして〜さんのご意見はもっともだと思います。私も「つらつら日暮らし」を拝見させていただいております。
私はこのような記事を書いていますが、仏教が大好きです。しかし、ブッタの教えを勉強すればするほど日本の仏教の現状にガッカリとするのです。
私は、色々な宗派のお坊さんや、タイの上座部仏教のお坊さんなども親交があるので、彼らに貴方と同じような疑問をぶつけた事が何回もあります。
心あるお坊さんも、若手からベテランまで沢山いるのです。そんな彼らも悩んでいます。既に変わらなければいけないと、自分で出来る事から始められているお坊さんも少数ではあるがおられます。
中泰
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