2008-06-26
日本の仏教難民 ??? 4
あるお坊さんを囲む宗派を超えた集まりに参加してみた。
そこには、多様な日本大乗のお坊さん方も参加されており、とてもフランクな雰囲気のなかで一般参加者からタブーなき?質問や相談がされています。
この会には、宗旨宗派も関係なく、さらにはお坊さんも上座部(南伝)も大乗(北伝)も入り混じり、中には本職の神道の宮司さんもいらっしゃり、私にとってこの光景は、新鮮でもあり非常に衝撃的でもありました。
私のような考えの方がこんなにも沢山いらっしゃるんだと心強くも感じました。
非常にユニークなそのお坊さんは、私のワダカマリを少しづつほぐしてくれた。
私の発心の経緯から、パーリ語やサンスクリット語原典から日本語に直に訳されたブッタの教えそのものに惹かれていること、そして日本の葬式とお墓を取り巻く“葬式仏教”ビジネスに関する疑問を率直にぶつけてみた。
そのお坊さんは、「貴方は、ごく普通の感覚の持ち主だと思いますよ、ただ半分正しくて半分疑問が残りますな」と穏やかに答えると、分りやすい言葉を選んで話しをしてくれた。
以下、お坊様のお話しの要約です。
あなたが、発心するきっかけとなったのが、パーリ語やサンスクリット語原典から日本語に直に訳されたブッタの教えであったことは、非常に幸運なことです、幸せなことですよ。
貴方が明治以前の日本人であれば知る由もなかったことが、生死をかけた冒険のうえでしかたどりつけなかった教えに、数々の書籍やインターネットによって直に触れる事ができるのですから。
私はね、矛盾しているように思われるかもしれませんが、頭とマユを剃りこんな格好(衣)をしていますが、宗教が大嫌いなんです。
2525年前に実在した人間ブッダとその教えに帰依しています。
宗教と捉えずに、2525年前に印度に実在したブッタの教えは、現世で心穏やかに地球上のすべての生きとし生けるものが幸せであるための“実践哲学”であると考えています。ですから、勉強も必要ですが、それだけではなく身をもってブッタの言っている事はこうゆうことだったのかと、できることから実践していくことが大切なことなのです。
難しい教学は立派な先生方の研究書をお読みになればそれで事足りるのではないでしょうか?
私のような凡夫の大多数の人間は、ブッタの教えに触れて20年やそこら修行したところで悟れるわけでもありません。227の戒律を守り、ブッタの教えにご縁をいただいた私のような人間ができることは、もともとのブッタの教えを知って欲しい。ただ、それだけなのです。このような集まりもその一環と考えています。
それでも、人生の節目で決断を迫られる時、ブッダならどのような考えの下にどのように行動するであろうか?それが私の行動規範となっています。
日本で坊主や仏教徒であること=すなわちブッタの説かれた道を正しく進んでいる者であること、では無いと言えるのは事実だと思います。しかし、だからといってオリジナリティーあふれる日本の大乗が間違っているとかテーラワーダ(上座部)が正統だとかということにはならないと思います。
とにかくね、“仏教オタク”はいらないんですよ!
入り口は何処でもいいんだと思います。貴方が信じる信仰のままでいいから、紆余曲折を経て伝播し、進化発展していく前の、この世に実在した人間ブッタの説かれた実践哲学を知って欲しいんです。
貴方は、日本のお寺とお坊さんの現状から、日本の大乗に懐疑的になっておられるようだが、坊主とて食っていかなければならない。
スリランカやタイやミャンマーなどのテーラワーダの国々では坊主は比丘(乞食)なんです。托鉢によって、つまり坊主側が一般の方々から慈悲を施されて命をつないでいます。それは、喜捨をして得を積むという考え方が国土の隅々まで浸透して脈々と受け継がれているから成り立つことです。
日本の大乗では、寺や坊主が一般の方々や故人とそのご遺族にご利益を与えて布施を頂き生活をしています。その際たるものが檀家制度ではないでしょうか。
そう考えるならば、お寺の集金システムと大乗の教えとは切り離されて考えてみたらいかがでしょうか?そうしないとポイントがずれてしまいます。
日本の大乗が、確かに人間ブッダが生きている間に説いた教えとは、かけ離れている部分もあるでしょう。しかし、この日本という国土の上で1500年以上かけて熟成されてきた大乗の教えの中に素晴らしいものも沢山あるのです。戒律に関してもこの立場に立ってみたらいかがですか?
私はこのお話しを聞いてから、仏教が益々好きになりました。
この先、仏教徒として歩んで行く上で私の大きな指針を頂いたように思います。
おわり
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そこには、多様な日本大乗のお坊さん方も参加されており、とてもフランクな雰囲気のなかで一般参加者からタブーなき?質問や相談がされています。
この会には、宗旨宗派も関係なく、さらにはお坊さんも上座部(南伝)も大乗(北伝)も入り混じり、中には本職の神道の宮司さんもいらっしゃり、私にとってこの光景は、新鮮でもあり非常に衝撃的でもありました。
私のような考えの方がこんなにも沢山いらっしゃるんだと心強くも感じました。
非常にユニークなそのお坊さんは、私のワダカマリを少しづつほぐしてくれた。
私の発心の経緯から、パーリ語やサンスクリット語原典から日本語に直に訳されたブッタの教えそのものに惹かれていること、そして日本の葬式とお墓を取り巻く“葬式仏教”ビジネスに関する疑問を率直にぶつけてみた。
そのお坊さんは、「貴方は、ごく普通の感覚の持ち主だと思いますよ、ただ半分正しくて半分疑問が残りますな」と穏やかに答えると、分りやすい言葉を選んで話しをしてくれた。
以下、お坊様のお話しの要約です。
あなたが、発心するきっかけとなったのが、パーリ語やサンスクリット語原典から日本語に直に訳されたブッタの教えであったことは、非常に幸運なことです、幸せなことですよ。
貴方が明治以前の日本人であれば知る由もなかったことが、生死をかけた冒険のうえでしかたどりつけなかった教えに、数々の書籍やインターネットによって直に触れる事ができるのですから。
私はね、矛盾しているように思われるかもしれませんが、頭とマユを剃りこんな格好(衣)をしていますが、宗教が大嫌いなんです。
2525年前に実在した人間ブッダとその教えに帰依しています。
宗教と捉えずに、2525年前に印度に実在したブッタの教えは、現世で心穏やかに地球上のすべての生きとし生けるものが幸せであるための“実践哲学”であると考えています。ですから、勉強も必要ですが、それだけではなく身をもってブッタの言っている事はこうゆうことだったのかと、できることから実践していくことが大切なことなのです。
難しい教学は立派な先生方の研究書をお読みになればそれで事足りるのではないでしょうか?
私のような凡夫の大多数の人間は、ブッタの教えに触れて20年やそこら修行したところで悟れるわけでもありません。227の戒律を守り、ブッタの教えにご縁をいただいた私のような人間ができることは、もともとのブッタの教えを知って欲しい。ただ、それだけなのです。このような集まりもその一環と考えています。
それでも、人生の節目で決断を迫られる時、ブッダならどのような考えの下にどのように行動するであろうか?それが私の行動規範となっています。
日本で坊主や仏教徒であること=すなわちブッタの説かれた道を正しく進んでいる者であること、では無いと言えるのは事実だと思います。しかし、だからといってオリジナリティーあふれる日本の大乗が間違っているとかテーラワーダ(上座部)が正統だとかということにはならないと思います。
とにかくね、“仏教オタク”はいらないんですよ!
入り口は何処でもいいんだと思います。貴方が信じる信仰のままでいいから、紆余曲折を経て伝播し、進化発展していく前の、この世に実在した人間ブッタの説かれた実践哲学を知って欲しいんです。
貴方は、日本のお寺とお坊さんの現状から、日本の大乗に懐疑的になっておられるようだが、坊主とて食っていかなければならない。
スリランカやタイやミャンマーなどのテーラワーダの国々では坊主は比丘(乞食)なんです。托鉢によって、つまり坊主側が一般の方々から慈悲を施されて命をつないでいます。それは、喜捨をして得を積むという考え方が国土の隅々まで浸透して脈々と受け継がれているから成り立つことです。
日本の大乗では、寺や坊主が一般の方々や故人とそのご遺族にご利益を与えて布施を頂き生活をしています。その際たるものが檀家制度ではないでしょうか。
そう考えるならば、お寺の集金システムと大乗の教えとは切り離されて考えてみたらいかがでしょうか?そうしないとポイントがずれてしまいます。
日本の大乗が、確かに人間ブッダが生きている間に説いた教えとは、かけ離れている部分もあるでしょう。しかし、この日本という国土の上で1500年以上かけて熟成されてきた大乗の教えの中に素晴らしいものも沢山あるのです。戒律に関してもこの立場に立ってみたらいかがですか?
私はこのお話しを聞いてから、仏教が益々好きになりました。
この先、仏教徒として歩んで行く上で私の大きな指針を頂いたように思います。
おわり
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No title
ふ〜むふむ…集金システムと大乗の教えの切り離しですか。申し上げにくいのですが私は、その大乗の教えを知らないんです。
機会あれば少しずつ勉強していきますね。
あと解りにく〜いのも多いんですよね!例えばお釈迦様が華をひねった。お弟子さんが微笑んだ…お手上げです。
中泰様はどうして仏教に惹かれるのですか?キリスト教でなく。
キリスト教も解りにくい…神の国とはこのようなものである…といわれましても???なのです。
機会あれば少しずつ勉強していきますね。
あと解りにく〜いのも多いんですよね!例えばお釈迦様が華をひねった。お弟子さんが微笑んだ…お手上げです。
中泰様はどうして仏教に惹かれるのですか?キリスト教でなく。
キリスト教も解りにくい…神の国とはこのようなものである…といわれましても???なのです。
youmikoさんへ
いつもコメントありがとうございます。
大乗といっても本当に範囲が広いんです。
印度で花開いた大乗、中国に伝播した大乗、そこから朝鮮半島に伝播した大乗、中国から日本に伝播した大乗・・・。
さらにその各国で宗祖が興した宗派もありますし、中国で新たに創作された経典もあります。禅宗なども、メイドイン チャイナと言ってもいいでしょう。
さらには、印度大乗では印度固有のバラモン教の教義や神様が混合してチベットやネパール、モンゴルに伝播しています。
フランスなどでは、チベット仏教と日本の禅宗などが仏教として認知されていいます。
youmikoさんの言うとおり、日本で仏教は分りにくくてとおっしゃる方が大半だと思います。お経となる教典じたいが中国の漢語を使っていて自国のお経でないのも原因の一つと考えられます。
本来、ブッダの教えはいくつかのキーワードをおさえればそんなに難しくないと思います。
食前・食後の“いただきます”と“ごちそうさま”だってブッダの教えの根幹に通じる教えです。余談ですが、本来、仏教には神様は存在しません。ですがら、仏像といったらほとんど釈迦像しかないという国々もあるのです。
どうして、キリスト教ではなく仏教なのか?というご質問ですが、難しいですね(笑)
私は、キリストよりもブッダに惹かれるから、というのが一番の理由かもしれません。本当はいっぱい理由があるんです。でもここでは書ききれません。
キリスト教を信仰されている方は、それでいいと思います。そのままキリストを信仰されたままでいいので、実践哲学としてブッタの元々の教えに一番ちかいところにある、原始仏典に触れて欲しいと考えています・・・中泰
大乗といっても本当に範囲が広いんです。
印度で花開いた大乗、中国に伝播した大乗、そこから朝鮮半島に伝播した大乗、中国から日本に伝播した大乗・・・。
さらにその各国で宗祖が興した宗派もありますし、中国で新たに創作された経典もあります。禅宗なども、メイドイン チャイナと言ってもいいでしょう。
さらには、印度大乗では印度固有のバラモン教の教義や神様が混合してチベットやネパール、モンゴルに伝播しています。
フランスなどでは、チベット仏教と日本の禅宗などが仏教として認知されていいます。
youmikoさんの言うとおり、日本で仏教は分りにくくてとおっしゃる方が大半だと思います。お経となる教典じたいが中国の漢語を使っていて自国のお経でないのも原因の一つと考えられます。
本来、ブッダの教えはいくつかのキーワードをおさえればそんなに難しくないと思います。
食前・食後の“いただきます”と“ごちそうさま”だってブッダの教えの根幹に通じる教えです。余談ですが、本来、仏教には神様は存在しません。ですがら、仏像といったらほとんど釈迦像しかないという国々もあるのです。
どうして、キリスト教ではなく仏教なのか?というご質問ですが、難しいですね(笑)
私は、キリストよりもブッダに惹かれるから、というのが一番の理由かもしれません。本当はいっぱい理由があるんです。でもここでは書ききれません。
キリスト教を信仰されている方は、それでいいと思います。そのままキリストを信仰されたままでいいので、実践哲学としてブッタの元々の教えに一番ちかいところにある、原始仏典に触れて欲しいと考えています・・・中泰
No title
ではでは、その「いっぱい」をすこ〜しずつ教えて下さいね!少しずつ…
私的にはキリスト様の生き方は厳しすぎたんじゃないか。逆に案外長生きだったお釈迦様は以外にものほほんとしていたんじゃないか。とか思っています。この面においてはお釈迦様が好きなのですが、教会のステンドグラスや賛美歌の美しさが大好きなのでなかなか仏教一本!と言う訳にはいきません。でも頂上は一つであると確信しています。
私的にはキリスト様の生き方は厳しすぎたんじゃないか。逆に案外長生きだったお釈迦様は以外にものほほんとしていたんじゃないか。とか思っています。この面においてはお釈迦様が好きなのですが、教会のステンドグラスや賛美歌の美しさが大好きなのでなかなか仏教一本!と言う訳にはいきません。でも頂上は一つであると確信しています。
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